医療ADRと患者の権利

                                      患者の権利オンブズマン東京 幹事長   谷 直樹

1 はじめに
 患者が求めるものは、適正な手続きと納得できる解決です。重装備の裁判手続きでもなく、規範・基準のない話し合いでもなく、ADRだからこそできることがあります。医療ADRについて議論されることも多くなりましたので、ADRの一つである患者の権利オンブズマン東京の5年間の経験をふりかえりながら、この問題を考えてみましょう。

2 ヨーロッパにおける患者の権利の促進に関する宣言
 世界保健機関のヨーロッパ地域事務所は、1994年、「患者の権利に関するヨーロッパ会議」で、リスボン宣言を発展させた「ヨーロッパにおける患者の権利の促進に関する宣言」をまとめました。宣言は、権利の行使は差別なく保障され、患者の国際的人権規範に適合し、法的な手続にしたがって適用される、患者は自己の苦情が調査され、処理され、その結果について情報を提供される権利を有する、としています。つまり、「苦情申立ての権利」を認めています。
 この宣言は、患者の参加や対話を強調しています。患者は、自己の権利が尊重されていないと感じるときは、苦情申立ができなければならず、裁判所の救済手続きに代えて、患者の苦情申立を受け付け、仲裁し、裁定する手続きを可能にするような、施設内での、あるいは施設外での独立した機構が形成されねばならない、としています。
 この宣言に基づく施設外での独立した機構として、1999年に福岡で「患者の権利オンブズマン」(その後NPO法人患者の権利オンブズマン」となる)が、2002年「患者の権利オンブズマン東京」が、2004年「患者の権利オンブズマン関西」が、それぞれ設立されました。

3 対象(「患者の権利」侵害)
 患者の権利オンブズマン東京では、患者の権利の侵害が問題になっているもの(苦情)を幅広く対象とします。損害賠償請求の問題というより、医療についての人権問題(患者の権利の問題)と考えています。むしろ損害賠償請求を主眼とするものは除外しています。
 裁判では医療過誤・損害賠償請求が中心になりますが、医療ADRではむしろ医療過誤・損害賠償請求以外のもの(苦情)が重要です。金銭賠償の問題ではない、という患者の声に応える設計が必要です。
 医療ADRの中には、医療過誤が疑われるものを対象とし簡易な手続きによって金銭賠償等で解決する、という、簡易な調停のようなものもあるようです。裁判不信に陥っている医師などは、そのような形の裁判代替型ADR、裁判補完型ADRを期待しているのかもしれません。
 しかし、医療過誤と認められないケースで、患者が苦情を述べるのは、医療側の説明不足、対応の悪さなど改善すべき重要な問題があることが多いのです。 単に、言いがかりである、医療過誤ではない、と認定することでは、何も問題は解決しません。また、医療過誤と認められるケースでも、賠償さえすればそれで解決する、という単純なものではありません。

4 裁判と医療ADR
 裁判は原告(患者側)に立証責任があり、原告(患者側)に厳しすぎる棄却判決は結構ありますが、原告(患者側)の請求が認められた判決はどう考えてもひどい事案であることが多く、トンデモ判決批判は見当外れのものが大半です。むしろ、裁判の限界は、過失・損害・因果関係の要件を満たした事案について金銭賠償を命じる、ただそれだけということにあります。医療ADRには、金銭では解決できないものを患者の権利の視点から解決し医療を改善する、という役割が期待されています。
 ADRは、そもそも話し合いによる合意形成による解決をめざすもので、医療ADRは、話し合いによる合意形成の場となることを期待されています。しかし、医療の分野では話し合いがすれ違いに終わって解決へ向けて進まないことも多いのも事実です。
 医療の分野では、当事者に専門的知識の差があることもあり、また当事者が前提とする事実について共通の認識が形成されていないことも多く、そもそも、話し合い解決のルール自体が形成されていない場合もあります。そのケースで何が話し合いによる解決の障害になっているかを知り、その障害を取り除かないと、話し合いによる解決は難しいものと思われます。その障害を取り除くためには、積極的に患者側の背中を押し、手を貸す者が必要です。
 話し合い解決は、共通の事実認識と共通の規範基準があって、はじめて可能となります。金銭賠償の問題であれば、事実認識はさておき結論として金額で合意できれば解決できる場合も少なくありませんが、例えば、真実を知りたいという患者の要求に対しては、事実 の認定のためにどのような手続きをとるのか(調査委員会の設置など)などが問題となり、金銭では解決できません。
 また、すべての事案が話し合いで解決できるわけではないので、話し合いによる解決ができない場合の解決手段を用意しておく必要があります。解決の軸をどこにおくか、明確にしておくべきでしょう。

5 2元的構造(「話し合いによる解決」と「話し合いで解決できない場合の解決」)
 法志向型ADRと話し合い型ADRという区別が言われることがありますが、実際のADRは両方の側面を併せ持つものが多く、患者の権利オンブズマン東京も、国際的な「患者の権利」を解決規範とする点では一貫していますが、2元的(2段階)構造をとっています。
 第一段階の相談員による相談・同行支援(患者支援)では、対話を重視し、合意形成による解決をめざします。
 第二段階のオンブズマン会議による調査・勧告(中立公正な立場から判断)は、解決規範・基準を示すことでその苦情を解決し、再発を防止します。

6 患者の権利オンブズマン東京の相談・ 同行支援
 苦情についての相談支援として、市民相談員と法律専門相談員(弁護士)の面談相談を実施し、市民相談員が中心となって苦情を聞き、法律専門相談員を含めて相談者に助言を行っています。相談者の自立的な行動によって、解決しようとしているので、市民の視点で聞き考え、助言することが必要ですが、同時に、患者の権利の視点から解決の道筋を示す必要があり、法律専門相談員も重要な役割を担っています。
 従前は、解決手段は「裁判」か「話し合い」しかなく、規範・基準がない「話し合い」では力の弱い方が折れるか、平行線の話し合いが延々と続くことになります。話し合いで双方が納得する適正な解決ができるためには、共通の規範・基準が必要です。その規範・基準は、「患者の権利」に求めることができます。 医療側も、患者の権利宣言を掲示するのが普通になった現在では、「患者の権利」を共通の規範・基準に据える基盤ができています。
 患者の権利オンブズマン東京の面談相談では、自己決定権を尊重し、患者の自立的な行動が患者の権利を推進することから、患者自らが行動して、医療側との実のある話し合いを実現し、解決していくことを目的として、どのようにして医療側との実のある話し合いを実現するか、個別具体的な助言を行っています。必要性が高い場合には、医療側との話し合いの場に市民相談員が同席することもあります。

7 オンブズマン会議の調査勧告と医療 ADR
どうしても当事者同士の話し合いで解決できなくて、患者からの申立があり、必要性が高いと判断したときは、調査点検を行い、適正な解決のため、オンブズマン会議で検討し、勧告を出しています(無料)。
 東京のオンブズマン会議は、医療系教授4名、医事法教授1名、医療政策等の研究者2名、弁護士2名、患者団体会長1名の10人で構成されています。福岡のオンブズマン会議は15名、関西のオンブズマン会議は10名で構成されています。
 オンブズマン会議は、中立的な立場で、国際的な患者の権利の観点から判断しています。患者の権利オンブズマン全国連絡委員会編「患者の権利オンブズマン勧告集」(明石書店)に15件の勧告が収載されています。インフォームド・コンセント原則違反の問題等が多いですが、医療過誤・賠償という視点では抜け落ちてしまう、多くの苦情、患者の権利侵害が採り上げられています。
(1) 申立
 オンブズマン会議への申立は、患者側からの申立だけでできます。医療機関の応諾は不要です。もちろん、医療機関には理解と協力を求めますが、最終的に医療機関が同意しないために調査勧告ができない、という事態は生じません。申立を受理するかしないかは、オンブズマン会議の判断によります。オンブズマン会議が受理するか否かは、調査勧告によって解決できる事案かどうか、具体的事情を考慮し判断しています。
 応諾を条件にしている医療ADRも多いのですが、医療機関側が同意しないために関与できないということが多ければ、医療ADRの役割は損われますので、医療機関側の理解が必要です。
(2) 迅速
 オンブズマン会議は、申立から100日内に調査勧告を出します。医療ADRは、迅速な解決が重要です。
(3) 主張,証拠の収集
 オンブズマン会議のメンバーが直接双方当事者から事情を聴取しています。医療ADRは当事者に代理人弁護士がつかないとすると、主張、証拠の収集について懇切丁寧な方法が必要です。
(4) 申立の範囲に制約されない
 患者の申立に理由がなくても、オンブズマン会議が調査の過程で問題(患者の権利侵害)を発見したら、その点について勧告します。当事者間にも限りません。インスリン凍結事件では、厚生労働省等に対する要望書も提出しました。
 医療ADRでは当事者に代理人弁護士がつかず、その当事者の主張範囲に拘束されると患者の権利侵害を看過してしまうことが起こりうるでしょう。医療ADRは、その目的、任務をどこにおくかによって異なりますが、当事者の真意を汲み、患者の権利の観点から紛争の真の原因を解決することが期待されます。
(5) 調査勧告を公開する
 オンブズマン会議は、プライバシー、個人情報保護に配慮しながら、調査勧告は公開しています(再発防止機能,患者の権利についての解釈の蓄積)。判決は社会的影響力があり、その蓄積が判例となります。
 医療ADRにおける解決が、個別事情を超えて一般化できるものであれば、公開し、同種事案の解決に役立つように、また医療改善、再発防止に役立つようにする必要があるでしょう。闇の中に埋もれてしまったのでは、患者の苦情を医療改善に活かすことができません。目先の解決だけではなく、医療全体のことを考えるべきでしょう。
(6) 実効性
 調査勧告の実効性を担保するためには、患者側・医療機関側双方にオンブズマン会議の調査勧告を尊重し、それにしたがって解決するという姿勢が必要です。医療ADRは、強制力を有するものとすると、入り口の段階で拒まれる可能性があり、そもそも、強制されるより、双方が納得して解決する姿が望ましいのは当然です。

8 まとめ
 このようにみてまいりますと、患者の権利オンブズマン東京は、患者の権利を解決規範として話し合い解決を進めてきましたが、今後作られる医療ADRにも同様に患者の権利を解決規範とし、話し合いを重視することを期待します。
(9月6日に行われたNPO法人医事紛争研究会主催「医療ADRシンポジウム」におけるシンポジスト報告に加筆)