【患者の権利オンブズマン東京第5回総会記念講演】 2007年2月3日


 患者の権利の今日的意義について


   明治大学法科大学院教授
   患者の権利オンブズマン東京 代表委員    鈴木 利廣



1.患者の権利の現状
  …医療被害から患者の権利を考える…


 私は患者の権利を常々次の5つに分類しています。
 
(1) 生命の尊厳と最善の医療を受ける権利
(2) 個人の尊厳
(3) 知る権利・自己決定権
(4) 被拘禁者としての権利
(5) 被害の回復・救済を求める権利


 これらの権利を社会的に確立するために、一方では医療関係者にその権利の尊重を求め、他方では国や地方自治体に一定の責務を促し、現実に権利が侵害されないようにすること、権利が侵害されたときには直ちに回復・救済がされる仕組みが必要である、というのがこの患者の権利の考え方です。

 日本では1980年代の半ばに患者の権利宣言運動が行われました。90年代に入ってからそれを公共政策の中に組み込ませようと「患者の権利法をつくる会」が患者の権利の法制化運動を始めてきています。そしてまた20世紀末から医療過誤・医療事故問題が患者の権利の中で重要なウェイトを占めてきているのが今日的状況です。

 患者の権利の歴史的起源をたどると1989年のフランス革命当時、傷病者が多い時期に病院に多数の患者が押し寄せ、ベッドジャックが行われたので1人の患者に1つのベッドを、という要求が患者の権利として叫ばれていたそうです。またそれまでは精神病者は牢獄に繋がれる存在でしかなかったのが、これは医療に値しないと30代の医師・ピネルが精神病患者の鎖を断ち切ったところから近代精神医学は始まったということです。

 しかし患者の権利が、すべての人々の問題として登場してきたのは1960年代末から70年代にかけての欧米だったと思います。
 また、それとは別に医療が安全でなければならないということでさまざまな公共政策が、例えば免許制度とか病院等の施設に対する医療者の数とか機材とか、さまざまな要件が法律で定められてきました。これも裏返せば安全な医療を確立するために設けられた法的規制ですから、患者の権利を保障するということにはなるわけです。
 患者の権利運動が市民運動として展開されてきたのは1970年代からと言えると思います。

(1) 生命・健康権と最善の医療を受ける権利

 最善の医療を受ける権利についてですが、90年代に医療法が改正されて「良質かつ適切な医療の提供」が法の理念になったわけです。さらに去年の6月に前通常国会で医療の安全確保に関して法律改正が行われ、医療法の中に明治の医制発布以来初めて「安全な医療」という言葉が書き込まれました。これが今年4月からこの法律が施行されることになります。

(2) 個人として尊重される権利

 それから個人として尊重される権利というのも、92年の医療法で1条の2の改正により「医療は、生命の尊重と個人の尊厳の保持を旨とし」となっています。当たり前のことがやっと医療法の中に書き込まれました。

(3) 知る権利と自己決定権

 これはインフォームド・コンセントに象徴される権利ですが、被験者の権利ということが今議論になっています。日本の臨床試験は薬しか問題にしていないけれども、薬以外にもさまざま行われています。実は事故が起きた後で調べたら、その治療法は極めて実験的なもので、有効性・安全性が確立していないことがあるわけです。臨床試験のガイドラインはGCPといいますが、これは薬の世界にしかない。
 手術・検査・処置などの新しいやり方について、被験者の権利は日本の法律にはないわけです。こういう被験者保護法をつくるべきだという議論もされています。

 必要な情報の提供については、医療法の中で「適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならない」という努力義務になっています。薬剤師法の25条の2では、ソリブジン薬害と薬害エイズをきっかけに97年に改正された条項ですが「必要な情報を提供しなければならない」と書いてあって、薬剤師だけが義務化されている。

 しかし今回の医療法の6条の2で必要な情報提供のための具体的な仕組みが提起されています。2003年9月には「診療情報の提供に関する指針」が出され、一昨年の4月から個人情報保護法が施行されて、これに基づく「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱のためのガイドライン」が厚生労働省から出されています。

(4) 被拘禁者としての権利

 憲法31条以下の条文は被疑者・被告人を想定した条文ですけれども、身柄拘束の場合には適正な法律上の手続きによらなければいけないと書いてある。
 感染症や精神医療で身柄を拘束するときにこの精神が尊重されずにきたわけですけれども、精神医療に関しては1984年の報徳会宇都宮病院事件に関し、国連人権委員会の査察を受けて法律が改正され、今日少しずつ前進してきています。

 感染症予防法についても伝染病予防法、らい予防法、結核予防法、エイズ予防法などが制定されていたのが、順次改正されてきて、前回の国会で結核予防法の廃止で感染症に関する個別立法がなくなって、「感染症予防医療法」の中にすべて統合されました。けれども身柄拘束の手続きは知事権限になっていて、被疑者・被告人のような裁判所が関与する厳格な手続きにはなり切れていない。
 さらには認知症患者が法的手続きの保証なく、カギのかかる病室に入れられているなどの現状もあり、少しずつ前進はしてきていますが、まだまだ十分でない。

(5) 医療被害の回復・救済を求める権利

 医薬品の副作用については1980年1月に施行された医薬品副作用被害救済基金法(現在の独立行政法人医薬品医療機器総合機構法)の中で被害救済が定められており、一般的には製造物責任法、民法、ハンセン病補償金支給法もそういう類のものです。
 公的な無過失補償制度の1つとして、分娩事故の脳性マヒについて話題が出ています。これは日本医師会案、自民党案を経て、現在日本医療機能評価機構において検討されています。無過失補償制度は分娩事故以外のところにも広げていく必要があるでしょう。

 それから一昨年の9月から始まった「診療行為関連死調査分析モデル事業」を、法律上のシステムとする検討会が始まります。
 さらに医療版ADRづくりもこの4月から始まろうとしています。医療安全支援センターが正式に医療法に基づく認可機関としてスタートし、全国の患者さんたちの苦情がここに寄せられる。この「患者の権利オンブズマン」のいわば公設版ということになるわけです。これらをどうやって正しい方向に推進していくのか、患者の権利を推進する市民運動の側でも問題意識を持って検討することが大事だと思います。

2.患者の権利法制定への道

1)「ハンセン病問題に関する検討会議の提言に基づく再発防止検討会」(2006.3〜)

 ハンセン病問題に関する検討会議の提言に基づく再発防止検討会が、去年3月にスタートしました。
 この会議は、ハンセン病問題を反省して、2度と医療被害を起こさせないために患者の権利法をつくる、その権利法制定までのロードマップをつくるというのが仕事です。厚生労働省は、現在すでに問題への対応をきちんとやっているから患者の権利法は要らないという姿勢なので、患者の権利法をつくりたくないわけです。

2)尊厳死法案

 患者の権利について無視できないもう一つの動きとして尊厳死法案があります。これは日本尊厳死協会が法律案を提案して衆議院法制局がコメントを加え、超党派の議員連盟ができて尊厳死に関する法律を作ろうという運動です。
 他方で富山県の射水市民病院で人工呼吸器を外して警察の捜査の対象になるという出来事がありました。また厚生労働省は終末期の医療に対するガイドラインのたたき台を出しています。これは尊厳死協会が考えているのとは違うものです。

 尊厳死協会はいわゆる植物状態になった患者のレスピレーターをリビングウィルに基づいて外させてほしいという意見です。しかし、植物状態患者に対するレスピレーターの取り外しは、横浜地裁の東海大学安楽死事件判決の基準があり、合法とはされませんでした。警察が入ってくることを考えると、もう今は治療中止は行わないというのが医療界の現状になっているようです。どうしても治療中止したいなら、人工呼吸器をつけたまま退院して自宅で家族が外してください、という傾向になっているようです。

 一方で尊厳死、安楽死の運動は、終末期における患者の自己決定権運動として、アメリカの1976年のカレン事件裁判や2000年代に入ってオランダの安楽死法(アメリカでもニュージャージー州で安楽死法がつくられた)などの動きがあります。筋弛緩剤などで自分の命を終わりにすることを医師がサポートしたときに、医師は刑事処罰を受けないという法律が少しずつ出始めている。
 安楽死、尊厳死は患者の自己決定権、患者の権利運動として始まったわけですけれども、他方生命の尊厳という考え方の中から安楽死、尊厳死、臓器移植に反対する市民運動も患者の権利運動として展開されている。非常に複雑な様相を呈してきています。

3)医療基本法における患者の権利の位置づけを!

 根本的には医療についての憲法に相当する医療基本法があって、その中に患者の権利が一つの章に設けられ、その基本的考え方を感染症、精神医療、医療事故の原因究明、被害救済、終末期医療など各論で患者の権利を具体的に規定していくことが重要です。
 先進国の中では患者の権利法を持たない国は数少なくなってきています。その中に日本が入っているのです。

3.医療安全をめぐる当面の課題

 「医療事故への公正な社会的対応のあり方」という図をつくりました。
 医療安全は、日常的に医療事故が起こらないような仕組みがあり、それでも事故が起きた場合にはその事故の報告を受け、原因を究明して、分析を行う仕組みが必要である。その報告・原因究明・分析という手法は3つの方向で次のステップに進まなければならない。

 1つは再発防止です。原因究明をして、さらなる日常的な安全対策に進んでいく。また未熟な医療者が起こしたものであれば行政処分で再教育の仕組みにつなげなければいけないし、個別の医療者だけの責任にせずに、さらなる日常的な安全対策、組織のエラー対策につなげていく必要がある。それらが日常的安全対策の実施にフィードバックされていくという環流が必要です。

 2つ目には被害に遭った人に対して被害救済を行うこと。お金の問題としては無過失補償制度と過失責任に基づく損害賠償、ここにはさらに裁判外紛争解決システム(ADR)の問題も入ってくるわけです。苦情を受け止めるという患者の権利オンブズマンの事業も、被害救済の一環なわけです。

 3つ目には悪質な事案に対しては刑事処分という流れも出てくる。刑事処分が悪質な事案に限定されていないのではないかということで、今論争が起こっています。刑事処分がどのような位置付けになるのかは、医学界の中でも法律界の中でもいろんな議論が出ています。
 この国にどういう制度が必要なのかということが、医療安全をめぐる当面の課題になるわけです。

1)医療事故の原因究明、再発防止

 医療法の施行規則で病院内の体制が少しづつ整う仕組みができてきました。そして院外でも診療行為関連死のモデル事業が始まって、法制化に向けた検討が行われています。行政処分もいままでは刑事処分になったものだけが行政処分に付され、免許停止か取り消ししかなかったわけですが、この4月から再教育制度が導入されるようになりました。厚生労働省ではこの4月から独自の調査権限を持って事案を調査し、具体的に担当医療関係者の免許処分を行い、その免許処分の中で安全教育を行うために、どういう仕組みが必要なのかという医師再教育のための検討会とADRづくりの検討会とモデル事業を法制化する、この3つの課題を検討する予算を計上しています。

2)医療ADR(裁判外紛争解決システム)

 医療版ADRですけれども、これも医療安全支援センターがこの4月から法的根拠を持って位置づけられるということだけではなくて、「裁判外紛争解決手続きの利用の促進に関する法律」がこの4月から施行される。それで裁判外紛争解決のためのADRセンターを認可制度にして、民間で申請をしていただいて、それを認可して苦情解決支援センターをいろんなところでつくっていくということです。
 弁護士会の中にも実は仲裁あっせんセンターがある。この弁護士会の中に医療版ADRをつくることについて東京エリアで3つの弁護士会の中で今議論が進んでいます。

 2007年度中にも弁護士会の中で医療版ADRを始めたいというのが私たちの意見なんです。
 医療版ADRの2つ目が茨城県医師会が行っている「医療問題中立処理委員会」と名付けられたものです。従来都道府県医師会の中には医事紛争処理委員会という委員会があって、この委員会が窓口になって、日本医師会の医事賠償責任保険を活用するための医事紛争審査会に案件を挙げて、百万円以上の賠償金を払わなければいけない事案については、そこの審査会でもって審査をして賠償金を払うという仕組みがあるわけです。

 これは日本医師会の会員を擁護するためのシステムと明言をして、40年ほど前からやってきたわけです。ところが会員を擁護するための委員会では一般市民・患者に信頼されないということで茨城県の医師会では全国に先駆けて医事紛争処理委員会とは別に、医療問題中立処理委員会を立ち上げるということになったと報道されています。

 3つ目には千葉版医事紛争センター構想があります、これは千葉県医師会と千葉地方裁判所と千葉県弁護士会の3つの組織が一緒になって、千葉版医事紛争センターを作ろうという構想です。

 そしていよいよ厚生労働省も医療版ADRづくりのための検討会をこの4月から発足させるということになり始めているわけであります。
 はたして事故が起きて報告・原因究明・分析があって3つの分野にそれぞれの仕組みができて、とりわけ被害救済と再発防止の法的システムへ確実につながっていくのかどうか、ということをきちんと監視をしていかなければならない。そのために一人ひとりの患者さんの苦情が極めて重要な土壌になって、それらを生かして公的な安全の仕組みにしていかなければならない、ということになります。それが医療安全をめぐる今日的な患者の権利運動の課題ではないかと思います。

4.医薬品の安全性をめぐる状況

1)産学連携の危険

 この問題に関し、最近5冊の本が出ているので紹介しておきます。

 *デーヴィッド・ヒーリー「抗うつ薬の功罪〜SSRI論争と訴訟」(みすず書房、原著は2003年・英国)「抗うつ薬の時代」
  (星和書店、2004年)
 *メダワー/ハードン「暴走するクスリ〜抗うつ剤と善意の陰謀」(医薬ビジランスセンター、原著は2004年・英国)
 *シェルドン・クリムスキー「産学連携と科学の堕落」(海鳴社、原著は2003年・米国)
 *マーシャ・エンジェル「ビッグ・ファーマ〜製薬会社の真実」(篠原出版、原著は2004年・米国)
 *Ray Moyniham他「怖くて飲めない」(ウィレッジブックス、2006年)

 これらの中でぜひ読んでほしいのは「怖くて飲めない」ですが、その中である製薬メーカーの最高経営責任者は、チューインガムを売るように健康な人々に薬を売ることが夢だと、30年前から語っていたそうです。そしてその戦略とは、
 ・ 病気をつくる
 ・ 専門家(患者団体、規制当局)を抱き込む
 ・ 徹底したマーケッティング(宣伝)を行う
 この3つです。

 病気をつくるということは、これまで健康とされていた人を病気に仕立て上げることです。悩みも病気とする。病気の治療は昔は苦しい状態をどうやって和らげて治すのかが概念であったわけです。ところが今は何か気が滅入ったことがありませんかという質問をして、次の10項目のうち3つ以上に該当したらうつ病予備軍だなどと言って薬を飲んだ方がいいとなっていくわけです。そして次々に病名をつくりあげて薬が開発されるようになってきた。

 最近は人体に大規模な害を及ぼす医薬品はなかなか見えにくくなってきました。効き目の大きい薬は副作用も大きいですから、ちょっと間違えると大規模な薬害が起こります。効き目はたいしたことがないものをすべての人々にチューインガムのように購入していただく、つまり有効性が怪しいものをたくさん市中に出回せる。

 スモン事件の福岡地方裁判所の判決の中に出てくる一節ですが、「人のための医薬品であって、医薬品のための人であってはならない」と。この名言を肝に銘ずべきです。
 この medicalization(医療化社会)は、処方薬だったものを薬局で売れるようOTC化し、薬局で売ってきた薬をコンビニで売れるようにする規制緩和路線と、病気づくり戦略によって徹底して行われている。「医薬品とは何か」を真剣に考えることが必要です。

 マーケティング戦略も新聞の1面を借り切って宣伝している。大手マスコミも製薬メーカーと、かなり仲のいい関係になってきているようです。専門家も抱き込まれていますが、今や患者団体や規制当局も抱き込まれている。すべての病気の治療方針はWHOガイドラインが最もエビデンスの高い標準的なガイドラインとして活用される時代になってきていますが、このWHOガイドライン起草委員の中にも企業との金銭的つながりのある人たちが出てきているそうです。

 しかしそういう情報はひとつも公開されません。薬害オンブズパースン会議がイレッサ検討会のメンバーにアストロゼネカ社とどのような金銭関係があるかを明らかにしてくださいと質問しました。肺がん学会やこの検討会の委員たちは、「必要ない」と回答してきました。この国の薬の状況も相当危なくなってきています。

2)医薬品の有用性(有効性と安全性)審査の厳格化を!

 薬事法14条2項は、有効性がない薬、有効性に比べて危険性が高い薬は承認してはいけない、としています。それでは有効性がちょっとでもあればいいのか、安全性はどのように比較すればいいのか、ということは全く書かれていないわけです。薬の有効性とは何か、危険性はどのように比較するのか、そこからでてきた有用性とは何か、そろそろ薬事法の考え方をより明確にしていかなければならない、と思うわけです。そういったことも患者の権利にからむ状況です。

 しかし、安全な医薬品を提供すべきという患者の権利運動と、有効性、安全性が充分確認される前にも早く新しい抗癌剤を使いたいというがん患者の権利運動が対立しているわけです。自己決定権と生命の尊重ということが必ずしも同じ方向を向いているわけではないわけです。

 以上が、患者の権利法制定運動の問題状況です。各論的な問題は少しずつ議論することにして、患者の権利を法制化していくことが重要だろうと思います。